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スマホと自転車

電車に乗ると大体7割ぐらいの人たちはスマホを見ている気がする。中には仕事の情報交換のために、スマホを使っている人もいるだろうが、ほとんどはゲームや暇つぶしとしてスマホを使っているらしい。高齢者が前に立っても、スマホに熱中していて、席を譲ろうとしない時も見かける。高齢者に気づいているのか、気づいていないのかは定かではないが、実は気づいていて、スマホが大義名分になっている節もある。昔アメリカに住んでいる時、男の人は電車やバスの中で立っている女性を見つけると、真っ先に席を譲る姿に驚いた。アメリカはレディファーストの国だというのを思い知らされたわけだが、行き過ぎたレディファーストもどうかなと思った記憶がある。日本では男女関係なく、すぐに座りたがる。時々電車の中で外国人の女性が立っていて、座っている若い男性をいぶかしく見ている姿を見た時があるが、彼女らは席を譲らない男性をどう思っているのだろうか?彼女たちに聞いてみたい気がする。

話が脱線したが、自分は電車の中ではスマホはまず見ることはない。スマホを見ないのは、スマホの機能を十分使いこなせないからという理由もあるが、単純に見にくいからという理由もある。だいたい我々の世代は若い頃に携帯電話も持っていなかったし、小さい画面で操作するのは苦手である。Z世代と言われる若い世代は生まれた時からスマホやパソコンがあり、ネットの情報に埋もれて育ってきた。1日中、寝る直前までスマホが手放せない人も多いと聞く。そもそも、そんなに情報が必要なのだろうか?自分の頭で考える力が弱くならないか?彼らが我々のような中年になった時、どんな社会になっているのか、少々心配にもなる。

スマホの問題点を敢えて3つだけ挙げたい。

1つ目は現実を直視しなくなる可能性。スマホの情報のおかげで、仮想体験ができる。スマホの情報だけで経験したような、分かったつもりの錯覚に陥りやすい。しかし、現実や真実は大体想像を超えたところにある。体で感じて覚えないと真の理解を得られないことが多い。スマホは頭でっかちの分かったつもり人間を作ってしまう可能性があること。スマホ中毒者の中には現実とのギャップに悩む人が多いかもしれない。

2つ目は、情報に飲まれて自分を見失いやすいこと。情報の量は多く、情報入手も早く、情報の回転も早い。どんどん日々の時間が短くなっていく感覚。スマホは内容の深さよりも量とスピード重視。だから、じっくり考える暇を与えないので、安易に信じてしまい、自分の意見を持たなくなる。

3つ目は、偏った考え方になりやすいこと。自分の興味や考え方に近いものばかりを検索するので、自分中心主義、偏見が強くなる。無意識に自分と反対の意見を無視しているので、俯瞰的な考えをしなくなる可能性がある。

スマホは便利を追求した結果の発明品である。いつでもどこでも情報が手に入る。外に行かなくても欲しい物を頼むことができる。カメラ機能も本家のカメラの性能に匹敵するぐらいである。スマホは面倒臭いこと、体を使うことを段々と遠ざけていくように思える。しかし、物事の両面を見極め、本質を理解しようとするのに、面倒くさくて、時間がかかるのは当たり前である。自転車の乗り方をスマホでどんなに一生懸命調べてみても、実際には自転車に乗れないだろう。何度も失敗して、痛い思いをして、いつの日か乗れるようになる。苦労して自転車に乗れた時の幸福感は、長く忘れないものとなる。スマホから得た表面的な知識は、真実の疑似体験をしているだけにすぎない。現実の辛さから現実逃避に走る人が増えないか心配だ。

院長

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